沿革

ヤマハ労働連合会 沿革

これまでの労連のあゆみをご紹介します

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ヤマハ労連50年のあゆみをご紹介します。

1971年~

昭和46年~昭和54年詳しく見る

1971.12ヤマハ発動機、ヤマハ車体工業、昌和製作所、三信工業の四労組、組合員6000名でヤマハ労連を結成
1972.04機関紙「ヤマハ労連」創刊号発行
1972.10全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)結成
1973.02賃金闘争・一時金の情報交換の機関として拡大委員会を設置
1973.04労連シンボルマーク設定
1973.09ヤマハ天草・ヤマハ大船渡労組がオブザーバー加盟
1974.10ヤマハ志度労組がオブザーバー加盟
1975.05年間一時金を夏冬型要求方式に変更
1975.05若年層の研修会として青婦拡大交流会の開催をスタート
1975.09自動車総連本部へヤマハ労連から専従役員を派遣
1975.09事務局2名の半専従体制開始
1975.09組織拡大や関連企業の労働条件の向上を目的に協力工場対策委員会を設置
1975.12福祉カンパ活動をスタート、集約したカンパ金を元に各労組から福祉施設などへの物品寄贈等を実施
1977.02第1回中央労使会議を開催
1977.02第1回中央委員会を開催
1977.08ヤマハ蒲郡労組がオブザーバー加盟
1977.09ヤマハ天草・ヤマハ志度・ヤマハ大船渡労組が正式加盟
1977.09職場環境への取り組みに対応するため、職場環境対策委員会を設置
1977.12ヤマハ北海道労組がオブザーバー加盟

1980年~

昭和55年〜平成元年詳しく見る

1980.09運動方針を2年制へ変更
1981.09ヤマハ労連綱領を作成
1981.09労連結成10周年記念式典を開催
1981.11青婦文体部員拡大交流会をリニューアルし、新たに「若者の集い」としてスタート
1982.02菅生労組がオブザーバー加盟
1982ヤマハ発動機グループの経営状況の悪化は、過去にない規模で雇用に関わる施策を迫られた。ヤマハ労連は、事前労使交渉により組合員の労働条件の確保に努めるなど、雇用問題への対応を行なった。
1982.09ヤマハ蒲郡労組・ヤマハ北海道労組が正式加盟
1983ヤマハ発動機グループの経営状況の悪化により、ヤマハ労連は、「再建に関する考え方」を整理・確認し、労使一体となった企業体質強化に向けた対応を行なった。
1985.09ヤマハエンジニアリング労組(現ヤマハモーターエンジニアリング労組)がオブザーバー加盟
1986.05ヤマハ北海道労働組合の解散
1987.02菅生労組が正式加盟
1987.04統一地方選挙・磐田市議会議員選挙において、田之上康成候補が初当選
1987.11若者の集いをリニューアルし、新たに「ヤングリーダーミーティング(YLM)」としてスタート
1988.07昌和製作所と榛葉シボリ製作所の合併を受け、創輝労組が発足、加盟
1988福祉カンパ金を元に福祉施設へ初の車両寄贈を実施
1988.09旧榛葉シボリ労組の組織内議員の石山信博氏がヤマハ労連の顧問に就任
1989.11官民統一のナショナルセンター「連合」がスタート

1990年~

平成2年〜平成11年詳しく見る

1990.09連合静岡の発足に伴い、ヤマハ労連から専従役員を派遣
1991.02ワイ・イー・シー労組(現ヤマハモーターエンジニアリング労組)が正式加盟
1991.04統一地方選挙において、ヤマハ労連組織内議員の田之上康成議員(磐田市議会2期目)、石山信博議員(掛川市議会2期目)が当選
1991.06海外セミナー(台湾山葉労組訪問)を初開催
1992.01労連結成20周年記念式典を開催
1992.06ヤマハ八代労働組合結成、加盟
1992.11自動車総連主催「ナイスハートふれあいのスポーツ広場」に初参加
1993.01ヤマハ天草労組とヤマハ八代労組が合併し、ヤマハマリン九州労組が発足、加盟
1993.04会社の企業統合に伴い、ヤマハ発動機労組とヤマハ車体工業労組が組織統合
1993.12ヤマハ労連チャリティー公演初開催
1994.09ヤマキ船舶加工労組オブザーバー加盟
1995.04統一地方選挙において、ヤマハ労連組織内議員の田之上康成議員(磐田市議会3期目)、石山信博議員(掛川市議会3期目)が当選
1996.04浜北市議会選挙において、袴田修司候補が1位で初当選
1996.12ヤマハマリン九州労組とヤマハ志度労組が合併し、ヤマハマリン製造労組が発足、加盟
1998.09ヤマハ志度工場の閉鎖に伴い、ヤマハマリン製造労組は解散し、ヤマハ天草労組、ヤマハ熊本プロダクツ労組が発足、加盟
1998.09ヤマハ労連活動のあり方を検討すべく「あり方委員会」を設置
1999.04統一地方選挙において、ヤマハ労連組織内議員の田之上康成議員(磐田市議会4期目)、石山信博議員(掛川市議会4期目)が当選

2000年~

平成12年〜平成21年詳しく見る

2000.04浜北市議会選挙において、袴田修司議員が2期目の当選
2001.03ヤマハ大船渡ケミカル閉鎖に伴い、ヤマハ大船渡労組解散
2002.03ヤマハ蒲郡製造閉鎖に伴い、ヤマハ蒲郡製造労組解散
2002.07労連結成30周年記念式典を開催
2003.04統一地方選挙において、ヤマハ労連組織内議員の田之上康成議員(磐田市議会5期目)、石山信博議員(掛川市議会5期目)が当選
2004.04浜北市議会選挙において、袴田修司議員が3期目の当選
2004.11株式会社菅生がホテル・レクリエーション関連事業から撤退
2005.04市町村合併に伴う市議会議員選挙において、ヤマハ労連組織内議員の田之上康成議員(磐田市議会6期目)、石山信博議員(掛川市議会6期目)が当選
2005.07市町村合併に伴う浜松市議会議員選挙において、袴田修司議員が4期目の当選
2006.07ヤマハ労連チャリティーきゃらばんを初開催
2007.04統一地方選挙・浜松市議会選挙において、袴田修司議員が5期目の当選
2007.04企業再編による新販社ヤマハ発動機販売株式会社の設立に伴い、ヤマハ発動機販売労組を結成、加盟
2009.01会社の企業統合に伴い、ヤマハ発動機労組とヤマハマリン労組が組織統合
2009.04磐田市議会議員選挙において、松野正比呂候補が第1位の得票で初当選
2009.12ヤマハモーターエレクトロニクス労組を結成、加盟

2010年~

平成22年〜現在詳しく見る

2010.04東洋精器労組を結成、加盟
2010.09ベスク労組、加盟
2011.01東洋精器株式会社とベスク株式会社の企業統合を受け、新たに東洋ベスク労働組合が発足、加盟
2011.01ヤマハモーターパワープロダクツ株式会社からヤマハモーターハイドロリックシステム株式会社への従業員の転籍を受け、新たにヤマハモーターハイドロリックシステム労働組合が発足、加盟
2011.04統一地方選挙・浜松市議会選挙において、袴田修司議員が6期目の当選
2012.08労連結成40周年記念式典を開催
2013.04磐田市議会議員選挙において、松野正比呂議員が2期目の当選
2014.06ボート事業労使会議・ボート事業検討委員会の開催
2017.01東洋ベスク株式会社とファインキャテック株式会社の企業統合を受け、ヤマハモーター精密部品製造労組が発足、加盟
2017.04磐田市議会議員選挙において、松野正比呂議員が3期目の当選
2018.07男女共同参画推進委員会を設置、定期的な開催を開始
2020.10福祉政策担当者会議を設置、定期的な開催を開始
2021.04磐田市議会議員選挙において、松野正比呂議員が4期目の当選
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